< 過去へ:稽古場日誌 「音楽は日常にはない」
今年からくじら企画の大竹野正典さんの「夜、ナク、鳥」の4ページを課題として取り上げる。
めっちゃ、関西弁。ひとりは困難。ひとりは悲惨。
”制約された体が明らかになることが、何かをする、ということになる。”
私たちの体が、私たちの体ではない、制約された体である、ということを知る、
日常生活における体の使い方、
生活の中で動いている私たちの体では、イメージに出会えないのだ、
というところから出発し、
方法的な(具体性のある)体の作業が、何かを「する」、「行為する」ということになる
舞台の上でなにかを行為するということは、
精神的な作業ではなく、具体的な肉体の作業である、
というところで、私たち行為する人間(役者)は、舞台上で本当に人を殺さなくてすむのだろう、
と、解釈した。
[記事掲載日: 2015年01月13日]